市民ランナーが急増し、国民的スポーツとなった「マラソン」。
日本人が活躍できる数少ないトラック競技として、マラソンは特に注目される競技のひとつです。
この記事では、オリンピックマラソン歴代男子日本代表選手の成績や記録を一覧にしてみました。
これまでの歴史の中で、メダリストは何人 誕生したのでしょうかー。
オリンピックマラソン歴代男子日本代表と成績
年/開催地 | マラソン男子日本代表選手/成績 | ||
1912ストックホルム | 金栗四三 54年8か月6日5時間32分20秒 |
ー | ー |
1920アントワープ | 金栗四三 16位 2時間48分45秒 |
茂木善作 20位 2時間51分09秒 |
八島健三 21位 2時間57分20秒 |
1924パリ | 金栗四三 途中棄権 |
三浦弥平 途中棄権 |
田代菊之助 途中棄権 |
1928アムステルダム | 山田兼松 4位 2時間35分29秒 |
津田晴一郎 6位 2時間36分20秒 |
永谷寿一 48位 3時間03分34秒 |
1932ロサンゼルス | 津田晴一郎 5位 2時間35分42秒 |
金恩培 6位 2時間37分28秒 |
権泰夏 9位 2時間42分52秒 |
1936ベルリン | ※孫基禎 金メダル 2時間29分19秒 |
※南昇竜 銅メダル 2時間31分42秒 |
塩飽玉男 途中棄権 |
1952ヘルシンキ | 西田勝男 25位 2時間36分19秒 |
山田敬蔵 26位 2時間38分11秒 |
内川義高 途中棄権 |
1956メルボルン | 川島義明 5位 2時間29分19秒 |
浜村秀雄 16位 2時間40分53秒 |
広島庫夫 33位 3時間04分18秒 |
1960ローマ | 広島庫夫 31位 2時間29分40秒 |
渡辺和己 32位 2時間29分45秒 |
貞永信義 46位 2時間35分11秒 |
1964東京 | 円谷幸吉 銅メダル 2時間16分22秒 |
君原健二 8位 2時間19分49秒 |
寺沢徹 15位 2時間23分09秒 |
1968メキシコシティ | 君原健二 銀メダル 2時間23分31秒 |
宇佐美彰朗 9位 2時間28分06秒 |
佐々木精一郎 途中棄権 |
1972ミュンヘン | 君原健二 5位 2時間16分27秒 |
宇佐美彰朗 12位 2時間18分58秒 |
采谷義秋 36位 2時間25分37秒 |
1976モントリオール | 宗茂 20位 2時間18分26秒 |
水上則安 21位 2時間18分44秒 |
宇佐美彰朗 32位 2時間22分29秒 |
1984ロサンゼルス | 宗猛 4位 2時間10分55秒 |
瀬古利彦 14位 2時間14分13秒 |
宗茂 17位 2時間14分38秒 |
1988ソウル | 中山竹通 4位 2時間11分05秒 |
瀬古利彦 9位 2時間13分41秒 |
新宅永灯至 17位 2時間15分42秒 |
1992バルセロナ | 森下広一 銀メダル 2時間13分45秒 |
中山竹通 4位 2時間14分02秒 |
谷口浩美 8位 2時間14分42秒 |
1996アトランタ | 谷口浩美 19位 2時間17分26秒 |
大家正喜 54位 2時間22分13秒 |
実井謙二郎 93位 2時間33分27秒 |
2000シドニー | 川嶋伸次 21位 2時間17分21秒 |
佐藤信之 41位 2時間20分52秒 |
犬伏孝行 途中棄権 |
2004アテネ | 油谷繁 5位 2時間13分11秒 |
諏訪利成 6位 2時間13分24秒 |
国近友昭 42位 2時間21分13秒 |
2008北京 | 尾方剛 13位 2時間13分26秒 |
佐藤敦之 76位 2時間41分08秒 |
大崎悟史 欠場 |
2012ロンドン | 中本健太郎 6位 2時間11分16秒 |
山本亮 40位 2時間18分34秒 |
藤原新 45位 2時間19分11秒 |
2016リオデジャネイロ | 佐々木悟 16位 2時間13分57秒 |
石川末廣 36位 2時間17分08秒 |
北島寿典 94位 2時間25分11秒 |
2020東京 | 中村匠吾 | 服部勇馬 | 大迫傑 |
日本男子マラソンのメダリストは3人
銅メダル:円谷幸吉(1964東京)
オリンピック男子マラソンで、日本人初のメダリストは、円谷幸吉さんです。
東京国立競技場のトラックに入ってから、英国のヒートリーに抜かれ銅メダルとなった選手です。
その雪辱から、次のメキシコ五輪で「もう一度日の丸を掲げることを約束します」と公言していました。
しかしその後は、故障との戦いで記録が伸びずプレッシャーから、自ら命を絶ってしまったのです。
悲しい最後となった円谷さんですが、自己ベストを2分近くも更新しての銅メダルは、素晴らしい記録です。
銀メダル:君原健二(1968メキシコシティ)
東京、メキシコ、ミュンヘンと3度のオリンピックに出場した君原健二さん。
親友の円谷健二のために、メダルを獲得すると誓い、臨んだメキシコ五輪。
酸素量は平地の4分の3という高地でのコースは、壮絶を極めましたが、親友の死を無駄にしないために執念の走りを見せ銀メダルを獲得しました。
レース終了後いに君原さんが語ったのは、「円谷さんの分まで頑張れました」という言葉でした。
自身のことは語らず、最後まで親友のことを讃えた言葉は感動です。
銀メダル:森下広一(1992バルセロナ)
オリンピック男子マラソンで現在、最後のメダリストとなっているのが、1992年バルセロナ五輪で銀メダルを獲得した森下広一さんです。
黄永祚(韓国)とのデッドヒートには敗れたものの、持ち前の粘り強さで銀メダルを獲得しました。
ちなみに優勝候補だった、谷口浩美さんの「コケちゃいました」という言葉も印象的な大会でした。
日本統治時代の朝鮮半島出身の選手のメダリスト
1936年のベルリン五輪で、金メダルの孫基禎選手と銅メダルの南昇竜選手。
この時代は、朝鮮半島が日本に統治されていたため韓国や朝鮮のの選手も日本代表として参加しました。
当時のオリンピック新記録で金メダルを獲得した快挙にもかかわらず、孫基禎選手は胸の日の丸を隠し、陰鬱な表情でうつむいています。
その時の心境を孫選手は、
「優勝の表彰台で、ポールにはためく日章旗を眺めながら、『君が代』を耳にすることはたえられない侮辱であった。…果たして私が日本の国民なのか? だとすれば、日本人の朝鮮同胞に対する虐待はいったい何を意味するのだ? 私はつまるところ、日本人ではあり得ないのだ。日本人にはなれないのだ。私自身の為、そして圧政に呻吟する同胞のために走ったというのが本心だ…。」
と語っています。
現在、オリンピック歴代マラソン優勝者の記念碑には、孫基禎選手は国籍を「Japan」から「Korea」に書きかえられています。
日本のオリンピックマラソンの歴史には、こんな悲しい出来事があったことも忘れてはいけませんね。
オリンピックマラソンのルール
マラソンは42.195kmの距離を、出場選手が一斉に走り順位や記録を競う競技です。
では、マラソンの基本的なルールをご説明します。
【オリンピックマラソンのルール】
■スタート地点からゴール地点までの標高差が42m以下に定められている。
■給水ポイントは、スタートとゴール以外に5kmごとに設ける。
■給水ポイントでは、水以外の食べ物の摂取も可能。
■タイムはランナーの胴体がフィニッシュラインを到達したときに計測される。
■ランナー以外が他の選手を手助けしたり触れたりすると失格になる。
マラソン日本男子の歴代記録トップ10
順位/タイム | 選手 | 大会 |
1位 2:05:29 |
大迫 傑 | 東京マラソン 2020/03/01 |
2位 2:06:11 |
設楽悠太 | 東京マラソン 2018/02/25 |
3位 2:06:16 |
高岡寿成 | シカゴマラソン 2002/10/13 |
4位 2:06:45 |
髙久 龍 | 東京マラソン 2020/03/01 |
5位 2:06:51 |
藤田敦史 | 福岡国際マラソン 2000/12/03 |
6位 2:06:54 |
井上大仁 | 東京マラソン 2018/02/25 |
7位 2:06:54 |
上門大祐 | 東京マラソン 2020/03/01 |
8位 2:06:57 |
犬伏孝行 | ベルリンマラソン 1999/09/26 |
9位 2:07:05 |
定方俊樹 | 東京マラソン 2020/03/01 |
10位 2:07:13 |
佐藤敦之 | 福岡国際マラソン 2007/12/02 |
2020年東京マラソンで大迫 傑が日本新記録樹立
2020年3月1日に開催された日本代表選考レース(東京マラソン)で、大迫 傑さんが、日本記録を更新する2時間5分29秒を叩き出しました。
近年、日本男子マラソンは世界から置いてきぼりを食らってきましたが、この東京マラソンでの大迫選手の日本記録更新は、久しぶりの明るいニュース。
マラソン男子がまたオリンピックで活躍する姿を見たいものです。
男子マラソン世界記録は?
1位 2:01:39 |
エリウド・キプチョゲ(ケニア) | ベルリン大会 2018/09/16 |
2位 2:01:41 |
ケネニサ・ベケレ(エチオピア) | ベルリン大会 2018/09/16 |
3位 2:02:48 |
ビルハヌ・レゲセ(エチオピア) | ベルリン大会 2018/09/16 |
男子マラソンの世界記録の1~3位は、すべて2018年に行われた「ベルリンマラソン」でのものです。
1位のエリウド・キプチョゲ(ケニア)は、2時間1分39秒を出し、これまでの世界記録2時間2分57秒を大幅に更新しました。
エリウドの練習は、祖国のケニアで標高2200メートルの高地で行っています。
ケニアには貧しさから抜け出すため、約5千人のランナーがプロを目指し、切磋琢磨しています。
キプチョゲ選手も、激しい起伏のある山道で脚力と精神を鍛え、この地位まで登り詰めてきました。
しかし、今の現状には満足しておらず人類初の2時間切りを目指して、さらにトレーニングしています。
キプチョゲ選手が、東京オリンピックに出場するならば、日本代表の脅威になることは間違いなさそうです。
ちなみに、男子マラソン世界歴代記録ベスト100が発表されていますが、その中に日本人は大迫 傑(2時間5分29秒/84位)ただ1人です。
最後に
オリンピック男子マラソンでは、3人のオリンピックメダリストがいたことが分かりました。
マラソンという競技は、気温や天気、駆け引きなどで思いもよらない記録がでることも。
そのため、日本人選手がメダルを獲る可能性もゼロではありません。
ぜひマラソンコースも楽しみながら応援したいですね!