ジャニーズ歴代タレントのデビュー曲やメンバーを年代順に振り返る!

これまで多くの人気アイドルを輩出してきた『ジャニーズ』。

いくらテレビや単独コンサートで歌っていても、社長だったジャニー喜多川さんがOKを出さないとCDデビューは出来なかったのよね。
一方でデビューが決まると、大々的にプロモーションが行われ、華々しいデビューが飾れるよ。

そこで今回は、ジャニーズ歴代タレントからデビュー順に年齢や上下関係が分かるように一覧にしてみました。

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目次

ジャニーズ歴代タレント年代順に振り返る!

1964年ジャニーズ(1967年解散)

デビュー曲『若い涙』

メンバー
飯野おさみ (1946/08/23)
真家ひろみ (1946/11/01)
中谷良 (1947/09/18)
あおい輝彦 (1948/01/10)

「初代ジャニーズ」「元祖ジャニーズ」と呼ばれるジャニーズグループの原点。

原宿の代々木公園で30名ほどの少年たちが集まり草野球をしていました。

その野球チームの名前は「ジャニーズ球団」で監督を務めていたのがジャニー喜多川さんだったのです。

ジャニーズ帝国の原点が草野球であったこと、50年もの歴史があることにも驚きです。

1968年フォーリーブス(※1978年解散)

デビュー曲『オリビアの調べ』

メンバー
北公次 (1949/01/20)
青山孝 (1951/08/10)
江木俊夫 (1952/06/04)
おりも政夫 (1953/07/04)

※退社後2002~2009年復活

下積み時代のフォーリーブスは、ジャニー喜多川さん愛車・クライスラーに乗り、副社長・メリー喜多川さんお手製の衣装を着て、ジャズ喫茶などをまわっていました。

また現在のジャニーズJr.のように、初代「ジャニーズ」の後ろでバックダンサーを務めるなどジャニーズグループの体系を作ったグループでもあります。

フォーリーブスの名前の由来は、『ジャニーズ』の解散コンサートのサブタイトル『フォーリーブス物語』から名付けられました。

ちなみに 、昭和の時代をシニカルに歌ったMr.Childrenの楽曲「デルモ」では、“水泳大会のおりも政夫”という歌詞が出てくるんですよ(笑)。

1975年ジュニアスペシャル

デビュー曲『ベルサイユのばら』

メンバー
板野俊雄 (1957/04/26)
畠山昌久 (1958/02/09)
林正明 (1958/08/30)
山縣孝良(旧メンバー)
井上純一(旧メンバー)

フォーリーブスや郷ひろみのバックダンサーをしていたメンバーで結成された「ジュニアスペシャル」。

この頃から追っかけが増え、芸能界でも女優の大島さと子さん、森公美子さん、放送作家の山田美保子さんも、ファンであったことを公言しています。

デビューの曲名が「ベルサイユのばら」ということから、当時ジャニー喜多川さんが、宝塚に影響されていたことが分かります。

1975年リトルギャング(1976年解散)

デビュー曲『アイ・ラブ・ユー』

メンバー
松原秀樹 (1961/11/02)
曽我泰久 (1963/01/07)

当時のアイドルは16歳から17歳くらいが主流でしたが、平均年齢12歳という若さで結成された「リトルギャング」。

それだけに、1年後には変声期で高いキーが出なくなり、あっけなく解散(笑)。

その後、松原秀樹さんと曽我泰久さんは、川崎真世さんのバックバンドとして活躍しました。

1978年 VIP(1979年解散)

デビュー曲『南十字星』

メンバー
板野俊雄 (1957/04/26)
畠山昌久 (1958/02/09)
林正明 (1958/08/30)
河村信子
吉本和子

ジャニーズの歴史では、男性だけでなく女性メンバーが所属した時代がありました。

「VIP」も、そのグループの一つで、それまで「ジュニアスペシャル」で活動していた板野俊雄、林正明、畠山昌久に河村信子、吉本和子という2人の女性が加わって結成されました。

しかし、ヒット曲も生まれず、デュオ曲を1枚だけリリースしただけで自然消滅してしまいました。

1982年シブがき隊(1988年解散)

デビュー曲『NAI・NAI 16』

メンバー
布川敏和 (1965/08/04)
本木雅弘 (1965/12/21)
薬丸裕英 (1966/02/19)

1981年にドラマで共演したモッくん、ヤッくんと、フッくんの3人で結成され、チョット不良っぽい感じが、少女たちを虜にした「シブがき(=硬派な悪がき)隊」。

“好きになっちゃうかもね~♪”、“死ぬまでお前ひとりさ”など都会的で少し荒っぽい歌詞や、「スシ食いねェ!」や「100%…SOかもね!」「Zokkon命」などのキャッチーな楽曲で人気を博しました。

6年を経て「解隊宣言」をし、グループの活動に終止符を打ちましたが、布川敏和さんは環境保護の活動、薬丸裕英は司会やコメンテーター、本木雅弘さんは俳優として、それぞれ別の道で活躍しています。

1983年イーグルス(自然消滅)

デビュー曲『走れ!ゴーインBOY/イーグルサムのマーチ』

メンバー
中村繁之 (1967/09/01)
宇治正高 (1967/11/21)
内海光司 (1968/01/11)
大沢樹生 (1969/04/20)
石川博文(旧メンバー)

1982年に石川博文を除く4人で結成され、「ジャニーズ幼年隊」 → 「ジャニーズ少年隊ジュニア」 → 「少年隊ジュニア」→石川が加入し「イーグルス」と変化していきました。

キャッチフレーズは「ジャニーズ事務所の秘蔵っ子」で、CDデビュー後も近藤真彦やシブがき隊、少年隊のバックダンサーを務めました。

しかし、メンバーで一番人気のあった中村繁之が、NHK『レッツゴーヤング』などでソロで活動するにつれ、グループは自然消滅していきました。

1983年 THE GOOD-BYE(※1990年休止)

デビュー曲『気まぐれ One Way Boy』

メンバー
加賀八郎 (1958/02/28)
曽我泰久 (1963/01/07)
衛藤浩一 (1963/06/08)
野村義男 (1964/10/26)

※2003年再結成

野村義男(たのきんトリオのヨッちゃん)のロックバンドとして結成され、デビューした「The Good-Bye」。

当時は『日本レコード大賞』を受賞するなど、同時期にデビューした「チェッカーズ」のライバルとして人気を博しました。

活動休止から13年を経て2003年に、「再会ライブ」としてZepp Tokyoでライブを開催しています。

1985年 少年隊

デビュー曲『仮面舞踏会』

メンバー
錦織一清 (1965/05/22)
植草克秀 (1966/07/24)
東山紀之 (1966/09/30)

これまでのグループの中をみても、並外れた身体能力を持つ3人で結成された「少年隊」。

「シブがき隊」が少年隊のバク転をみて「かなわない・・・」と解散を決意したほどの実力がありました。

そのアクロバティックな動きは、カメラからフレームアウトすることも(笑)。

当時から、完璧主義と言われていた東山紀之さんの影響なのか、特にダンスは、動きがしなやかで余裕がありキレキレでした。

現在でも解散せず、グループを続ける「少年隊」は、ファンにとっての希望ですね!

1987年 光GENJI(1995年解散)

デビュー曲『STAR LIGHT』

メンバー
内海光司 (1968/01/11)
大沢樹生 (1969/04/20)
諸星和己 (1970/08/12)
佐藤寛之 (1970/11/02)
山本淳一 (1972/02/28)
赤坂晃 (1973/05/08)
佐藤敦啓 (1973/08/30)

アラフォーなら誰でも知っている伝説のアイドルグループ「光GENJI」。

当時は、ローラースケートを履いたパフォーマンスに憧れ、マネする人も多かったですね!

その人気は絶大で、経済誌などでも取り上げられ社会現象化しました。

ヒット曲は、「ガラスの十代」、「パラダイス銀河」、「勇気100%」などあり、今でもジャニーズの後輩に歌い継がれています。

1994年8月に大沢樹生と佐藤寛之が脱退した頃から、人気も低迷し、翌年ののライブを最後に解散をしました。

コンサートの最後の舞台には、ローラースケートが残され、さながら山口百恵さんの引退コンサートのようでした。

1988年 男闘呼組(1993年解散)

デビュー曲『DATBREAK』

メンバー
成田昭次 (1968/08/01)
前田耕陽 (1968/08/16)
高橋一也 (1969/05/20)
岡本健一 (1969/05/21)

不良なイメージを売りにした男闘呼組は、デビューから解散まで5年と短く、印象はやや薄め。

しかし、演技派俳優として定評のある高橋一也や、2006年に漫才師の海原ともこと再婚した前田耕陽、『Hey! Say! JUMP』のメンバー岡本圭人の父でもある岡本健一など、現在でも話題になることが多いですね。

ちなみに、2016年の大河ドラマ『真田丸』で高橋と岡本が共演し、かつてのファンは喜びましたが、再結成することは今のところなさそうです。

1990年 忍者(少年忍者)(1997年休止)

デビュー曲『お祭り忍者』

メンバー
柳沢超 (1967/03/07)
遠藤直人 (1969/04/20)
正木慎也 (1969/05/29)
高木延秀 (1970/03/11)
志賀泰伸(旧メンバー)
古川栄司(旧メンバー)

忍者の格好をしたカメが活躍したアニメ「ミュータント・タートルズ」がアメリカで流行していたころから、世界でも活躍するようにと名付けられた「忍者」。

美空ひばりさんのヒット曲『お祭りマンボ』のリメイクした『お祭り忍者』で、デビュー4か月にして紅白にも出場しました。

その後も『りんご白書』や『おーい!車屋さん』など、お嬢(美空ひばり)ソングをアレンジし続けた忍者でしたが、次第に人気は低迷し、アイドル路線に転向するも人気は復活せず。

メンバーの脱退もあり、残った4人で「四銃士」とユニット名を変更しますが、勢いは戻らず、ひっそりと活動休止となりました。

1991年 SMAP(2016年解散)

デビュー曲『Can’t Stop!!-LOVING-』

メンバー
中居正広 (1972/08/18)
木村拓哉 (1972/11/13)
稲垣吾郎 (1973/12/08)
草なぎ剛 (1974/07/09)
香取慎吾 (1977/01/31)
森且行(旧メンバー)

歌やダンスが決して上手いとは言えず、人気が出ずに見放されかけたところ、飯島三智さんがアイドルらしい華やかさを排除し、等身大のキャラクターを打ち出したところ大ブレイク。

メンバーの服装も衣装というよりはラフな恰好で、ストリート系が流行った 当時の時代背景にバッチリハマっていましたね。

1990年代に入ると、SMAPはバラエティに活路を見出し、従来のスター性ではなくカジュアルさでお茶の間で人気を博していきます。

しかし、喜多川ジュリーさんと、飯島三智チーフの派閥争いがおこり、SMAP全員が飯島チーフについていく予定でしたが、「ジャニーさんへの恩がある」ということで木村さんだけジャニーズ事務所に残ることに。

そうすると、当然SMAPとしてやっていくのは無理ということで解散という道を選びました。

国民的アイドルグループSMAPは、「平成」という時代と共に伝説となりました。

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1994年 TOKIO

デビュー曲『LOVE YOU ONLY』

メンバー
城島茂 (1970/11/17)
国分太一 (1974/09/02)
松岡昌宏 (1977/01/11)
長瀬智也 (1978/11/07)
山口達也(旧メンバー)

最初は城島と山口が「城島茂バンド」を結成し、そこに「SMAP学園」選抜メンバーとして国分と松岡が合流。

その後、ジャニーズJr.の中で頭角を現していた長瀬が加入し、TOKIOとなりました。

オリジナリティ溢れる企画や体力勝負のコーナーが売りの「ザ!鉄腕!DASH!!」、「TOKIOカケル」などバラエティで活躍するも、山口が強制わいせつ容疑でグループを脱退。

現在は4人体制で奮闘していますが、メンバーは全員40代ということもあって独立の噂もささやかれています。

1995年 V6

デビュー曲『MUSIC FOR THE PEOPLE』

メンバー
坂本昌行 (1971/07/24)
長野博 (1972/10/09)
井ノ原快彦 (1976/05/17)
森田剛 (1979/02/20)
三宅健 (1979/07/02)
岡田准一 (1980/11/18)

坂本昌行、長野博、井ノ原快彦の20th Century(トニセン)と森田剛、三宅健、岡田准一のComing Century(カミセン)という兄、弟組で分かれるメンバーで構成されるV6。

アクロバットを得意とし、綺麗に揃ったダンスは、いまも健在です。

24年もの長い間、グループのメンバーが1人も欠けず、6人中4人が結婚をしていることなど、ジャニーズのアイドルとしては革新的なグループですね。

1997年 KinKi Kids

デビュー曲『硝子の少年』

メンバー
堂本光一 (1979/01/01)
堂本剛 (1979/04/10)

それぞれ姉が送った履歴書がきっかけで、ジャニーズ事務所に入所し結成されたKinKi Kids。

1997年のデビューシングル『硝子の少年』は累計で178.6万枚売り上げ1枚目で大ヒットし、その後も『愛されるより愛したい』『全部抱きしめて/青の時代』『フラワー』がミリオンヒットしました。

また二人が司会をした音楽番組『LOVE LOVE あいしてる』の番組内で発表された『好きになってく 愛してる』もオリコンランキング1位を獲得。

俳優活動では、1994年のドラマ『人間・失格~たとえばぼくが死んだら~』で役者としてもブレイクを果たしました。

いかにもアイドルの王道をいく変わらない堂本光一と、力を抜いた立ち振る舞いで 自分の道を模索する堂本剛のコンビは、今後も長続きしてくれそうですね。

1999年 嵐(2021年休止)

デビュー曲『A・RA・SHI』

メンバー
大野智 (1980/11/26)
櫻井翔 (1982/01/25)
相葉雅紀 (1982/12/24)
二宮和也 (1983/06/17)
松本潤 (1983/08/30)

「世界に嵐を巻き起こす」ようにと名付けられ、1999年にデビューしたジャニーズ事務所所属の5人組アイドルグループ「嵐」。

おまけ的要素も大きかったアイドルの歌ですが、嵐の楽曲は実にキャッチーで、イントロだけで嵐と分かるオリジナル性も魅力。

ドラマ・映画、舞台、絵画展、ニュースキャスター、バラエティー番組など、どの分野でも大きな成功を納めてきました。

メンバーの入れ替なしに、ペースを落とすことなく20年間活動してきましたが、2021年に自分を見つめ直したいという理由から休止を宣言しています。

2002年 タッキー&翼(2018年解散)

デビュー曲『To be, To be, Ten made To be』

メンバー
今井翼 (1981/10/17)
滝沢秀明 (1982/03/29)

「タッキーは特別なことが普通。」「小さなジャニーさん」と呼ばれ、ジャニー喜多川さんのお気に入りだった滝沢秀明が、「今井翼とユニットを組みたい」と社長に直談判し結成されたタッキー&翼。

その後は、「Venus」「Ho!サマー」などヒット曲を出し、ベストアルバム『タキツバベスト』は、オリコン1位を獲得したことも。

滝沢にいたっては、1999年、TBS系ドラマ『魔女の条件』、NHKの大河ドラマ『義経』で主演を務め大ブレイク。

2006年から『滝沢演舞城』が始まり、次第に舞台演出も手掛けるようになります。

滝沢は、ジャニーズ Jr.の育成や、コンサート、舞台などのプロデュース業に専念するため、2018年芸能活動からの引退を表明し、ジャニーズアイランド社長に就任しました。

一方 今井翼は芸能界は引退せず、舞台俳優として歩み始めました。

2003年 NEWS

デビュー曲『NEWSニッポン』

メンバー
小山慶一郎 (1984/05/01)
増田貴久 (1986/07/04)
加藤シゲアキ (1987/07/11)
手越祐也 (1987/11/11)
錦戸亮(旧メンバー)
山下智久(旧メンバー)
内博貴(旧メンバー)
草野博紀(旧メンバー)
森内貴寛(旧メンバー)

『バレーボールワールドカップ2003』のイメージキャラクターとして、山下智久を中心に小山慶一郎、増田貴久、加藤成亮、手越祐也、草野博紀、森内貴寛で活動していましたが、2002年に関ジャニ∞の錦戸亮、内博貴が加わり、結成されました。

しかし、2011年に山下はソロ活動、錦戸は関ジャニ∞の活動に専念するためグループを脱退。

残った4人中の3人が不祥事を起こすなど、色々と問題があるグループだけに、今後の動向が注目されています。

2004年 関ジャニ∞

デビュー曲『浪花いろは節』

メンバー
横山裕 (1981/05/09)
村上信五 (1982/01/26)
丸山隆平 (1983/11/26)
安田章大 (1984/09/11)
大倉忠義 (1985/05/16)
錦戸亮(旧メンバー)
渋谷すばる(旧メンバー)
内博貴(旧メンバー)

関西出身のメンバーで結成され、大阪弁で気取らないキャラクターで人気のある関ジャニ∞。

SMAP解散で勢力図も変化した中で、関ジャニ∞はメキメキと力をつけ、今では嵐、KinKi Kidsに続いてジャニーズ事務所の人気ナンバー3まで登り詰めました。

正統派イケメンはいないものの、軽快なトークや笑いのセンスなどジャニーズらしからぬ魅力で活躍しています。

2006年 KAT-TUN(※2016年充電)

デビュー曲『Real Face』

メンバー
中丸雄一 (1983/09/04)
上田竜也 (1983/10/04)
亀梨和也 (1986/02/23)
田口淳之介(旧メンバー)
田中聖(旧メンバー)
赤西仁(旧メンバー)

※2018年再活動

ジャニーズグループの中でも、セクシーさとワイルドさを打ち出しているのが「KAT-TUN」。

赤西仁が退所したことを皮切りに、3年ごとにメンバーが欠け、デビュー当時の半分の3人となったいまは、後輩の「Hey!Say!JUMP」、「King & Prince」に人気の面で追い抜かれてしまう始末。

一時期は嵐を抜けるほどの勢いがあった「KAT-TUN」だっただけに、悲しいですね。

2007年 Hey! Say! JUMP

デビュー曲『Ultra Music Power』

メンバー
薮宏太 (1990/01/31)
高木雄也 (1990/03/26)
伊野尾慧 (1990/06/22)
八乙女光 (1990/12/02)
有岡大貴 (1991/04/15)
岡本圭人 (1993/04/01)
山田涼介 (1993/05/09)
中島裕翔 (1993/08/10)
知念侑李 (1993/11/30)
森本龍太郎(旧メンバー)

「Hey! Say! Johnny’s Ultra Music Power」を略し、全員が平成生まれのメンバーで結成された「Hey! Say! JUMP」。

9人というジャニーズ史上最多人数の大所帯グループであり、ファンクラブの会員数では約50万人以上の人気を誇ります。

年号が変わる時、「平成が終わったら解散する」という噂も流れましたが、次世代のジャニーズを担っていく重要なグループです。

2011年 Kis-My-Ft2

デビュー曲『Everybody Go』

メンバー
北山宏光 (1985/09/17)
横尾渉 (1986/05/16)
藤ヶ谷太輔 (1987/06/25)
宮田俊哉 (1988/09/14)
玉森裕太 (1990/03/17)
二階堂高嗣 (1990/08/06)
千賀健永 (1991/03/23)
飯田恭平(旧メンバー)

2005年に結成された「Kis-My-Ft2」。

グループ名は、メンバーのイニシャルから来ており、「キスマイ」という愛称でも有名ですね。

前3人(藤北玉:通称まえあし)と後ろ4人(舞祭組)に分けられ、歌番組などで着用する衣装は明らかに色や装飾が異なるなど「メンバー内格差」が今ではネタにされています。

千賀・宮田・横尾・二階堂の後ろ4人は、元SMAPの中居正広プロデュースユニット「舞祭組(ブサイク)」としてCDデビューも果たしています。

「光GENJI」を彷彿とさせるローラースケートでのパフォーマンスと、「ギャップ萌え」を武器に活躍してもらいたいですね。

2011年 Sexy Zone

デビュー曲『Sexy Zone』

メンバー
中島健人 (1994/03/13)
菊池風磨 (1995/03/07)
佐藤勝利 (1996/10/30)
松島聡 (1997/11/27)
マウリス葉 (2000/03/30)

バラを掲げて、王道の王子様スタイルでデビューを飾った「Sexy Zone」。

「中島、佐藤、菊池を軸に他メンバーは入れ替える」という異例の発表がされると、松島とジュニアメンバーから成る「Sexy 松」、マリウスとジュニアメンバーから成る「Sexy Boyz」など新ユニットが結成されました。

今後は、メンバー個々の活動も期待されています。

2012年 A.B.C.-Z

デビュー曲『Moonlight walker』

メンバー
五関晃一 (1985/06/17)
戸塚祥太 (1986/11/13)
塚田僚一 (1986/12/10)
河合郁人 (1987/10/20)
橋本良亮 (199307/15)

ジャニーさんお墨付きで、「少年たち」や「ジャニーズ伝説」などの伝統的な舞台を長く演じ、ジャニーズ事務所の看板を背負っている「A.B.C-Z」。

お笑いや下ネタなども、お構いなしの 飾らない人柄がうけ、バラエティにも多数出演することが多くなりました。

どんなことにも常に本気で挑む、A.B.C-Zの姿勢は好感が持てますね。

2014年 ジャニーズWEST

デビュー曲『ええじゃないか』

メンバー
中間淳太 (1987/10/21)
濱田崇裕 (1988/12/09)
桐山照史 (1989/08/31)
重岡大毅 (1992/08/26)
神山智洋 (1993/07/01)
藤井流星 (1993/08/18)
小瀧望 (1996/07/30)

関西ジャニーズJr.として活動したメンバーから結成された「ジャニーズWEST」。

関ジャニ∞から10年ぶりに、全員関西出身のグループで、芸人さながらのトークと屈託のない明るい笑顔が武器です。

メンバーの最年長と最年少の年の差が9歳もありますが、そんな年齢差を感じさせない団結力も魅力。

2018年 King & Prince

デビュー曲『シンデレラガール』

メンバー
岸優太 (1995/09/29)
岩橋玄樹 (1996/12/17)
平野紫耀 (1997/01/29)
神宮寺勇太 (1997/10/30)
永瀬廉 (1999/01/23)
高橋海人 (1999/04/03)

今現在、ジャニーズが力を注いでいるグループ「King&Prince」。

ジャニーズ王道の王子様路線でキラキラ感満載ですが、Jr.時代の地道な下積みがあってのデビューというのは有名な話。

全員の顔面偏差値が高いのに、話しだすと普通の男子に戻るギャップも人気の一つです。

2020年 Snow Man

デビュー曲『D.D./Imitation Rain』

メンバー
深澤辰哉 (1992/05/05)
佐久間大介 (1992/07/05)
渡辺翔太 (1992/11/05)
宮舘涼太 (1993/03/25)
岩本照 (1993/05/17)
阿部亮平 (1993/11/27)
向井康二 (1994/06/21)
目黒蓮 (1997/02/16)
ラウール (2003/06/27)

最年長と最年少の年齢差が11歳もあり、ベネズエラ人の父を持つラウールなどキャリアもバラバラのメンバーからなる「Snow Man」。

『滝沢歌舞伎 』で見いだされただけあって、アクロバットとダンスが得意なグループ。

ありのままの個性を受け入れ、一つのグループとして魅力を増していくグループになっていくことでしょう。

2020年 SixTONES

デビュー曲『Imitation Rain/D.D.』

メンバー
高地優吾 (1994/03/08)
京本大我 (1994/12/03)
田中樹 (1995/06/15)
松村北斗 (1995/06/18)
ジェシー (1996/06/11)
森本慎太郎 (1997/07/15)

男子校を覗き見ているような ザ・男子なノリが特徴の「SixTONES」。

グループ名の由来は、原石(ストーン)と音域(トーン)をかけ、6人が音域と個性を出してという意味が込められています。

全員が高身長で顔も小さくビジュアルはお墨付き。

日本のグループで初めて「YouTube アーティストプロモ」に抜擢されるなど「現代っ子」ぽさも新しいですね。

最後に

半世紀もの長い歴史があるジャニーズグループは、これまで多くのスターを輩出し、男性アイドルの礎を築いてきました。

最初は草野球チームから始まり、途中には女性メンバーがいたり、今では想像できないエピソードもありました。

あなたの青春を彩ったアイドルグループはいたでしょうか。

ジャニー喜多川さんが亡くなった、ジャーニーズ帝国の今後にも注目したいですね。

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